2013.04.26

新刊のお知らせ「復刻版 観相学試論」

テプフェールが1845年に発表したまんが論「観相学試論(Essai de Physiognomonie)」の復刻版を作成しました。
http://homepage3.nifty.com/gos/comic/index.htm

Amazonから購入することができます。また、今度の5月5日に東京ビッグサイトで開催されるコミティア104「す14b」でも販売します。(こちらではAmazonの手数料がかからないので、少し安く販売します)

「復刻版 観相学試論」ロドルフ・テプフェール(森田直子・訳)
http://www.amazon.co.jp/dp/4901241117/

【内容紹介】
現代的な意味でのストーリーまんがの祖といわれる著者が、自らの創作体験に基づいて1845年に発表した、世界最初の本格的まんが論というべき画期的な論考。
連続する絵によって小説のような内容を表現する手法の可能性を、物語、線、キャラクター、顔、印刷技法などを中心に論じており、現代のまんが論にも通ずる論点が数多く考察されている。
1845年に刊行されたオリジナル本は活字を一切用いず、テプフェールのまんが作品と同様に絵と文がすべて手書きされ、文意に即した自在なレイアウトを実現していた。本書はそれをそのまま採録した復刻版である。日本語版もあわせて収録し、訳者による解題を付した。

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2012.08.22

Amazonで取り扱い始めました

本にしたものがAmazonから購入できるようになりました。

「まんが史の基礎問題 ホガース、テプフェールから手塚治虫へ」
http://www.amazon.co.jp/dp/4901241109/

他のネット書店や一般書店では注文・購入できません。Amazonのみの取り扱いですのでご注意下さい。
Amazon取り扱いの経費がかかるため、少し割高になりましたが、送料は無料です。

〈2012.9.2〉 現在「在庫あり」です。
これまで「在庫なし」にもかかわらず注文を入れて下さった皆さまのおかげで、ようやくAmazonからまとまった納品依頼があり、状況が改善されました。どうもありがとうございます。

以下は目次です。このブログに掲載した内容は、ほぼ序章と第1章にあたります。

序.ストーリーまんがの源流
紙の量について/手塚治虫と赤本/ストーリーとコマ/コマ割りまんがの父・テプフェール/コマ割りまんがはどこから来たか

第1章 ストーリー・ページ・コマ
1.コマ割り表現の歴史
絵はいかに区切られたか/『ライモンドゥス・ルルス小約言』挿画/「時間性コマ配置」と「関係性コマ配置」
2.ホガースとその時代
「絵を見ること」の大衆化/ホガース『ことの前後』
3.テプフェールと線
蛇行する線/「と」としての線/テプフェールの時代と視覚の変容/まんがとアニメにとっての1820年代/テプフェールの線はどこから来たか

第2章 絵・キャラクター・線
1.キャラクターとカリカチュア
ホガースの絵柄/キャラクター文学/図像と虚構/印刷によって制限される絵柄/ホガースのキャラクター表現
2.カリカチュア革命
カリカチュアの流行とアマチュア/カリカチュアをめぐる問題/モダン・カリカチュアの展開
3.テプフェール「観相学試論」
線とキャラクター/ペンで紙に自由に描くこと
4.シンボルとイメージ
絵と文/写真と映画

第3章 触覚的・通過・運動
1.視覚的と触覚的
映画における触覚的な受容/建築としてのストーリーまんが/パサージュから都市へ
2.テプフェール以後の展開
パリでの反響/雑誌・新聞の時代と単行本/児童向けの絵本/ブッシュと動きの表現
3.雑誌から単行本へ
定期刊行物とまんが/キャラクターとマーケッティング/19世紀アメリカ/連載から単行本へ/戦前の日本における単行本
4.近代メディアとまんが
アニメーションの出現とウィンザー・マッケイ/動きとキャラクター/トーキー時代のまんが/日本のアニメーションとストーリーまんが/ふたたび『新寶島』

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2012.08.08

まんが史の基礎問題■図版付PDF

ここまでの内容のPDFです。図版を70点以上付けましたので、かなり重いです。

まんが史の基礎問題_00.pdf(5.6MB)
まんが史の基礎問題_01.pdf(12.6MB)

これ以後も内容は続きます。冊子の形で読んでいただけるよう準備中です。
(8/12のコミケに持っていく予定です。西す34a)

(2012.08.18)
コミケで購入して下さった方々、どうもありがとうございました。当日持参した分は、おかげさまで完売しました。
ネットから買えるように準備中です。しばらくお待ち下さい。

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まんが史の基礎問題11■テプフェールの線はどこから来たか

 前に述べたように、テプフェールの作品の一コマ一コマは、線の密度も内容も非常にシンプルであり、コマによっては単独ではほとんど意味をなさない。ホガースと異なり、ひとつひとつの絵に商品価値を持たせる必要はなく、むしろ描きとばしている。そのことが、絵と絵の関係性を読み取らせることを支えている。
 つまり、現代の我々が慣れ親しんでいるようなコマ割り表現が成り立つ時に、重要だったのはコマそのものではなく、むしろ絵の質の方だったということになる。
 とするならば、その支えとなっているテプフェールのシンプルな絵柄そのものに注目し、検討しなければならない。エルンスト・ゴンブリッチは、テプフェールの表現について、以下のように述べている。

 かかる省略的な様式を使用する美術家は、自分が割愛しているものはつねに観照者の方で補足してくれるものと当てにできる。練達の技術で完璧に仕上げられた絵画では、どんなわずかな欠陥でも混乱のもととなるだろうが、テプファーとその模倣者たちの慣用語では、そのような省略の表現も話術のうちとして読んでもらえるのだ。(エルンスト・ゴンブリッチ『芸術と幻影』瀬戸慶久・訳、岩崎美術社、1979年 、455頁)

 観照者の補足とは、つまり、生産力を持った読者ということであり、それはコマとコマの関係だけではなく、そもそもこのような「省略的な」絵柄の特徴でもある。
 確かにテプフェールの絵は非常に省略的ではあるが、改めてよく見てみるならば、その描線はむしろ「落書き」といった方がいいくらいに、不安定で頼りない。現在の日本で、もしこの絵柄でまんが家デビューしようとしたら、まず周囲の人に止められるだろう。普通の神経の持ち主なら、この絵でお金を取ろうとは考えない。とても商売になるような線とは思えない。たとえヘタウマというジャンルに挑むにしても、「この絵でよいのだ」という無根拠な覚悟と図太い神経が必要だ。19世紀のジュネーヴで、こんな絵柄で作品を描いて出版するというのは、相当無謀な行為だったのではないかと想像される。
 テプフェールは、わざわざこのような下手くそな線を引いたのだ。これは意図的な行為である。父が有名な画家であり、もともと自らも画家を目指していながら眼病でやむなく断念したテプフェールは、「うまい絵」を描けるだけの技術は十分に持っており、その上で、あえてこのような線を引いている。
 当時の一般的な出版物に掲載されている絵の水準から考えて、なぜテプフェールがこんな暴挙ともいうべき落書きのような絵を発表したのか。周囲の反応はどうだったのか。よく考えるとこれは重大な問題である。
 しかし実際に歴史を見てみると、テプフェールほどの大胆さではないにしろ、ホガース以後にイギリスの「諷刺版画」の絵柄は大きく変化してきており、ひどく歪んだ表現が増えているのも、また事実である。
 実はホガースの没後にイギリスの風刺版画界には「カリカチュア革命」ともいうべき事態が生じ、ホガースの絵柄は時代後れのものとなってしまう。テプフェールの絵柄は、さらにその先を行った「アヴァンギャルド」と見ることもできるだろう。
 テプフェールの線はどこから来たのか。それを検討しなければならない。

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