« 08■絵と時間 | トップページ | 10■絵と時間【3】メルロ=ポンティ「眼と精神」より »

2008.04.25

09■絵と時間【2】「ロダンの言葉」より

(ここにあるのは旧ファイルです。このページの内容を踏まえた、新たなテキスト「まんが史の基礎問題」をアップしています。トップページからアクセスして下さい)


 前項に関連して、ロダンの言葉を引用しておく。

芸術家が本当で、写真が嘘なのです。だって、実際において時間はじっとしていません。(中略)
馬の駆け足を写すのに、早取り写真から得た姿勢をあらわすある近代画家たちを悪いとするのも同じわけからです。彼らは、ルーヴルにある「エプサム競馬」でジェリコーを批難します。世俗の言葉で「腹を地につけて」駆けている馬、即ち前と後ろへ一度に脚を投げて駆けている馬をジェリコーが画いたというのです。彼らによると、種板は決してかような証跡を与えないというのです。(中略)
ところで、私の信ずるところではジェリコーが正しくて写真がその反対なのです。だってこの馬は駆けてるように見えますもの。そして、これがそう見えるわけは、観る人が、それを後から前へと見て来て、まず後肢が一飛び飛ぶ努力を果したところを見、次に体の延びてるのを見、それから前肢がもっと前へと地面を求めてるのを見るからです。この全体は同時にいろいろ皆起っている廉で間違っています。部分を順を追って見てゆくと真実です。そしてこの真実のみがわれわれに感じて来ます。われわれが見ようとするのもそれであり、われわれを打って来るのもそれであるからです。(高村光太郎・訳「ロダンの言葉抄」岩波文庫231~232頁)

 種板とは、写真の原版のこと。ジェリコーの馬の絵は、マイブリッジが撮影した分解写真の「走る馬」の足の動きに合致しておらず、実際にはありえない「瞬間」を描いているという批判があった。ロダンはそれに反論している。
 ロダンは自分の彫刻作品でもこのことを実践しており、「部分を順を追って見てゆくと真実」になるような造形を行なっていることを、自ら述べている。つまり、ロダンの彫刻は、部分によって異なる時間が表現されている。人体の足と、腰と、腕と、頭では、それぞれ時間が異なっている。

|

« 08■絵と時間 | トップページ | 10■絵と時間【3】メルロ=ポンティ「眼と精神」より »