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2008.04.28

11■複数の絵

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 絵を複数並べることについて考えてみる。
 そのように考えるには、そもそも絵を「複数」ととらえることが必要だ。
 たとえば、何かの絵を描き、続けてその脇にまた絵を描くことは、ごく普通にされる行為だ。単にさまざまな絵が併置されているということなら、それこそ、ラスコーの洞窟壁画にまでさかのぼることができる。しかしそのような絵は、そもそも数えることができない。洞窟壁画に描かれた動物の個体数を数えることはできるが、絵がいくつ存在するのかは、定かでない。どこまでが1つの絵で、どこからが違う絵なのか、わからない。ただ動物の絵が次々と並んでいるだけである。
 絵が複数であるためには、描かれた絵をひとつの「領域」ととらえて、独立したものと見なし、他の絵と区別することが必要である。領域が成立するということは、その内と外が生まれるということであり、絵の外縁が明確になるということである。一般的には、その外縁に「境界線」が現われる。
 見えない境界線もあるだろう。また、ひとつの絵の中に複数の領域を見出すこともできるだろう。そのような「領域」を考えることも必要であるが、ここではひとまず、「絵の外縁」としての境界線が現われるという点から「領域」を考えてみる。

 外縁は、多くの場合、メディア(紙、板、壁など)の物理的な終端部に現われるか、またはそのメディア上に引かれた(あるいは浮き出る)境界線として現われる。
 この両者は、もちろん同時にも現われる。たとえば絵画の場合なら、キャンバスの終端部がとりあえず絵の外縁ではあるが、いったんそれが額装されると、額縁やパスパルトゥーとの境目が、意図された外縁として浮き出る。
 このようにして、絵が独立した領域となり、境界線を持つことで、それを複数集めて併置していくことも可能になる。先に境界線があり、その枠の中に絵を埋めていく場合も、原則として同様と考えられる。枠ができると、同時にそこに領域は成立しているのだから、たとえ絵は空白であっても、それはもはや単なる空白ではなく、「空白という絵」である。
 独立した絵を複数集めて併置したにしろ、先に境界線を構成してから絵を埋めていったにしろ、いずれにしろコマ割り風の構成は、絵の可算化という操作に支えられている。複数の絵を併置するためには、数えられないものを、数えられるようにする作業が、根本的に必要である。
 この「絵の可算化という操作」こそ、テプファーの行なっていた「絵を区切ること」にほかならない。テプファーの枠線は、もともとはフレームを構成するために引かれたのではない。区切ることによって、絵を可算化したのだ。
 その時、はじめて「1」が生まれ、同時に「2」を呼び込む。数えられない絵は、1でも2でもない。ひとつの絵があるように見えたとしても、それが数えられない限りは、まだ「単数」ではない。「単数」になるということは、同時に「複数」をはらむことであり、数えられるようなものになったということだ。
 テプファーが絵を描き、その脇に1本の境界線を引いた時、その絵は「単数」へと変貌し、その境界線の向こう側に、未だ描かれざる複数の絵が潜在的に出現したのだと言える。その未決定の未来へ向かって筆を走らせ、次々と絵を顕在化していった作業の軌跡が、テプファーの作品なのではないか。

 先に「07■コマ割り表現と時間」の2.で述べたように、コマ割り表現の機能として「物語や時間経過を表わすこと」を中心に考えると、以上のような根本的な機能が見失われやすい。コマ割り表現がさまざまな機能を発揮することができるダイナミズムの源こそを考える必要がある。

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2008.04.25

10■絵と時間【3】メルロ=ポンティ「眼と精神」より

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 前項のロダンの言葉を引用したメルロ=ポンティは、「眼と精神」で次のように書いている。

画像が、実際の運動が私の眼球に与えるものとほとんど同じものを与えるということもあろう。たとえば、適当に混ぜ合わされた一連の瞬間的視像――対象が生物である場合なら、前の瞬間と後の瞬間のいずれともつかないような不安定な姿勢をした瞬間的視像、――要するに観察者が〈痕跡〉から読みとるような〈位置の変化の外面〉を、画像が与えるということもある。だが、ここでこそ、ロダンの有名な注意が重要になってくるのだ。つまり、瞬間的な視像、不安定な姿勢は運動を石化してしまう、――競技者が永遠に凍りついてしまっているような多くの写真がそれを示しているではないか、というのだ。視像をふやしてみたところで、この凍結を溶かすわけにはいかない。マレーの写真、キュビスムの分析[的画像]、デュシャンの「花嫁」、これらは身じろぎもしない。それらが示しているのは、運動についてのゼノン風の幻想である。そこに見られるのは、節々が動くようになっている鎧のように硬直した身体なのであって、それは魔法を使ってでもいるかのよう、ここにもおりあちらにもいるのだが、しかしけっしてここからあちらへ〈行き〉はしない。(中略)
ロダンが言っている。運動を見せてくれるもの、それは腕・脚・頭をそれぞれ別の瞬間にとらえた像(イマージュ)であり、したがって身体をそれがどんな瞬間にもとったことのない姿勢で描き、――まるで両立しえないもののこの出逢いが、いや、それのみが、ブロンズや画布の上に[ポーズの]推移と[時間の]持続とを湧出させうるのだとでも言わんばかりに、――身体の諸部分を虚構的に継ぎ合わせたような像なのだ、と。(中略)
脚が地面から離れた瞬間に、したがってその脚をほとんど身体の下にたたみこみ完全に運動しきっているところを撮された馬が、ただその場で跳び上がっているようにしか見えないのは、なぜだろうか。そしてそれとは逆に、ジェリコの描いた馬たちが画布の上を、それも全速力で走る馬にはおよそありえないような姿勢で走っているのは、なぜだろうか。それは、彼の「エプサム競馬」の馬たちが、地面に対する身の構えを私に見せてくれ、しかも、私が熟知している身体の世界の論理に従えば、この空間に対する身の構えは、また持続に対する構えでもあるからなのだ。このことについても、ロダンは深みのある言葉を洩らしている。「芸術家こそ真実を告げているのであって、嘘をついているのは写真のほうなのです。というのは、現実においては時間が止まることはないからです」。時間の衝迫がただちに閉じてしまうはずの瞬間を、写真は開きっぱなしにしておく。写真は時間の超出・侵蝕・「変身」を打ちこわしてしまうが、絵画は逆にそれを見えるようにしてくれる。というのは、馬はそうしたもののなかでこそ「ここを去ってあちらへ行く」ことになるからであり、馬はそれぞれの瞬間の中なかに脚を踏み入れているからである。絵画は運動の外面ではなく、運動の秘密の暗号を求める。ロダンの語っている以上に微妙な暗号があるのだ。それはつまり、〈すべての肉体が、そして世界の肉体でさえ、おのれ自身の外へ放射する〉ということである。しかし、時代に応じ流派により、外に現れた運動に愛着を感じようが不朽のものを好もうが、絵画がまったく時間の外にあるということはけっしてない。絵画はいつも肉体的なもののうちにあるのだから。(木田元・訳「眼と精神」みすず書房『間接的言語と沈黙の声』215~217頁)

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09■絵と時間【2】「ロダンの言葉」より

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 前項に関連して、ロダンの言葉を引用しておく。

芸術家が本当で、写真が嘘なのです。だって、実際において時間はじっとしていません。(中略)
馬の駆け足を写すのに、早取り写真から得た姿勢をあらわすある近代画家たちを悪いとするのも同じわけからです。彼らは、ルーヴルにある「エプサム競馬」でジェリコーを批難します。世俗の言葉で「腹を地につけて」駆けている馬、即ち前と後ろへ一度に脚を投げて駆けている馬をジェリコーが画いたというのです。彼らによると、種板は決してかような証跡を与えないというのです。(中略)
ところで、私の信ずるところではジェリコーが正しくて写真がその反対なのです。だってこの馬は駆けてるように見えますもの。そして、これがそう見えるわけは、観る人が、それを後から前へと見て来て、まず後肢が一飛び飛ぶ努力を果したところを見、次に体の延びてるのを見、それから前肢がもっと前へと地面を求めてるのを見るからです。この全体は同時にいろいろ皆起っている廉で間違っています。部分を順を追って見てゆくと真実です。そしてこの真実のみがわれわれに感じて来ます。われわれが見ようとするのもそれであり、われわれを打って来るのもそれであるからです。(高村光太郎・訳「ロダンの言葉抄」岩波文庫231~232頁)

 種板とは、写真の原版のこと。ジェリコーの馬の絵は、マイブリッジが撮影した分解写真の「走る馬」の足の動きに合致しておらず、実際にはありえない「瞬間」を描いているという批判があった。ロダンはそれに反論している。
 ロダンは自分の彫刻作品でもこのことを実践しており、「部分を順を追って見てゆくと真実」になるような造形を行なっていることを、自ら述べている。つまり、ロダンの彫刻は、部分によって異なる時間が表現されている。人体の足と、腰と、腕と、頭では、それぞれ時間が異なっている。

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2008.04.24

08■絵と時間

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 まずは、絵と時間について。
 絵は、普通に時間を表現する。むしろ、「瞬間」を描く絵というのは原則としてありえない。そこには必ず何らかの持続が入り込む。
 それを具体的に述べるなら、1.そもそも人間の認識は時間の幅の中で成立する。だから見て認識したものを絵にする場合、それはすでに時間の幅を描くことである。これは昔から当たり前のことであったし、近代以降の絵画においては、それをいかに自覚的に行なうかが問題にもなってきた。また心理学の面から言っても、ジェイムズ・ギブソンのアフォーダンス論に従うなら、絵を描くこととは、知覚された対象の「不変項」を表現しようとすることであり、その成立は「動き」「時間」によって支えられている。 2.絵を描く行為自体が、時間の幅の中にある。線を引くことは、時間経過の痕跡でもある。たとえば、まんがの中に描かれた「放物線」は、軌道の残像の効果線である以前に、そもそも描き手の手が動いた痕跡であり、時間が刻み込まれている。線が生成されることは、時間そのものである。 3.また、線を引くことは、「自分が引いた線を見ながら、さらに線を引く」行為である以上、その間、描き手の認識自体も刷新され続けている。だから絵は、不断に変動しつづける描き手の認識の累積であり、その意味でも時間の痕跡である。

 それにもかかわらず、「動かない絵は、原則として動きや時間を表わさない」という言説が一般的に広がる理由は、我々が普段使い慣れてしまった「静止画」という言葉を検討するとわかりやすい。
 静止画とは、動画に対比して生まれてきた言葉であるように思われる。そもそも絵は物理的に動かないのが当たり前だから、本来であれば、わざわざ「静止画」と言う必要もなく、単に「画」や「絵」でよかったはずだ。画や絵は、今も昔も動かない。それ自体は動かないが、動きや時間を普通に表現する。しかし、いったん「動画」という言葉が生まれると、それに対する静止画は「動かない画」ではなく、「動きを表わさない画」と誤解されやすい。形態と機能が混同されるのだ。
 この誤解に基き、「静止画によって、いかにして動きや時間を表現するか」という、ありがちな疑問が提出される。
 もし、「画によって、いかにして動きや時間を表現するか」を検討したいのであれば、まずは絵画の問題(そして、それを支える知覚の問題)のこれまでの研究成果を十分踏まえてから、その後に、まんが固有の事項を見いだして、行なうべきだろう。
 「まんがはいかにして時間を表現するか」という設問は、まんがを考える上で意義があるが、それに直接答えようとすると、多くの場合、落とし穴が待っている。

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2008.04.19

07■コマ割り表現と時間

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 一般的に、コマ割り表現の特徴として、物語や時間経過を表わすことが挙げられる。本当にそうだろうか。
 もちろん、そのこと自体に間違いはないだろう。コマ割りは、時間を表現するのに大変適した形式である。しかし、いくつかの見地から異論も出るだろう。
 1.まず、コマ割りをせずとも、そもそも絵は時間を表現するということ。単独の絵の中に、時間経過や物語展開は普通に表現されているのであるから、それをわざわざコマ割り表現の特徴とすることは、場合によっては本来の絵の表現力を見えにくくし、忘却させる事態を引き起こしかねない。
 一般的にまんが論には、この弊害がよく見られる。「動かない絵は、原則として動きや時間を表わさない」という思い込みを暗黙の前提としたまま、「動かない絵にもかかわらず、動きや時間を表現する技術」を検討するという倒錯した設問を掲げて、読み解こうとしている文章を、あちらこちらで見ることができる。
 2.別の見地からは、以下のような異論も出るだろう。物語や時間経過を表わすことは、コマ割り表現の特徴のひとつであるが、すべてではない。だから、それだけに注目したり、それが最も中心的な特徴だと考えたりすることは、コマ割り表現の最も重要な他の特徴を見失わせる危険がある。
 この2つのことを具体的に考えてみる。

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2008.04.17

06■文字について【2】セリフ

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 絵の中に「セリフ」があるというのは、どういうことを意味するだろうか。
 セリフがあるということは、その表現が演劇的であるということだ。その作品が必ずしも「物語的」である必要はない。そこに人物がいて何かを演じているからこそ、発話という「行動」も描写される。だから、最低限描かれているのは「人物の存在」と「行動」であり、そこに派生する具体的な意味や、象徴的な意味や、物語的な意味や、あるいは無意味は、時代や作品によってさまざまである。

 人物の口元からことばが発せられているかのように表現した絵は、かなり古くから見られるようで、少なくともヨーロッパでは中世の宗教画等でフキダシ表現が確認できる。17世紀前半のイギリスでは、フキダシとコマ割り表現の両方を用いたものも見られる。18世紀になるとイギリスでさまざまな風俗画家が活躍しているが、ホガースやギルレイなどの作品にもフキダシ表現が見られる。
 ヨーロッパでは、特にルネサンス期以降の美術表現は、キリスト教美術がナラティブな傾向を強めており、宗教画の中にドラマチックな表現や、風俗画的な表現が増えていく。18世紀イギリスの風刺画も、そのようなルネサンスからバロックに至る美術の延長線上にあるように思われる。たとえばホガースの絵の中の情報量の密度を挙げるための手法は、人物の演劇的な表現や、文字(欄外キャプション)による解説や、画中画的な表現の活用など、どれもそれ以前の時代の宗教画の手法である。風刺画が異なるのは、テーマが時事風俗に徹しているという点だ。宗教画は、風俗的なものを入口にしながらも、あくまでも聖的なものの表現が目的であったが、風刺画はどこまでも時事風俗表現であり、ジャーナリスティックである。
 ホガースは、教会が一般民衆に教義をわかりやすく説くために導入した手法を、徹底的に俗化させている。
 一方、それまでの絵と文字の組み合わせ表現の分野では、ルネサンス期以降にはインプレーサ集やエンブレム集など、絵と文字の象徴的表現の意味を解読している本が流行しており、それらは「簡単にはわからない」ということが前提になっていた。象徴的なものを読み解くことは、それ自体が文化であり、教養なのだ。ホガースなどの風俗画は、そういう象徴的表現の文化を踏まえながらも、徹底的にかみくだいて表わそうとしており、そのようなわかりやすさ優先の方向性の先に、セリフを画中に描き込むという、演劇的な表現も導入されている。
 だからそれは、絵の「象徴性」のしきいを下げるだけにはとどまらず、いずれはその「象徴性」からすっかり離れた表現へテイクオフしてく予感をはらんでいる。結果的に見れば、画中にセリフを描くことは、人物の行動の表現を、象徴ではなく具体的・即物的なレベルへと拡張する可能性を導き出す。それは、後にコマ割りという形式を得ることで、さらに具体的で細かい行動の描写を可能にしていく。
 そこで描かれる演劇的な「人物の存在」と「行動」には、だからこそ、いずれは「リアリズム」の問題が関わることになる。

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2008.04.14

05■文字について

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 まんがには、多くの場合文字が書かれる。文字のないまんがもあるが、一般的に文字を組み合わせることが普通に行なわれており、「文字」や「文字と絵の関係」などを検討する必要がある。
 「文字」の起源については、学説によってさまざまな見解があるようだが、文字が単なる記録のための図形ではなく、現在につながるような表音文字を用いた記号体系として成立したのは、紀元前3700年頃のシュメール語においてだと言われている。スティーヴン・ロジャー・フィッシャーによれば、文字は文明の発展によってそれぞれの地に自然発生的に出現したものではなく、このシュメール語のアイディア(体系的音標綴字法)が原型となって、各地の文明に伝わって広がり、それぞれの地で独自に展開していったとされる。
 絵文字が、もはや絵ではなく音価をもった記号となることで、文字として独立していったとするならば、この時代以降に「絵と文字」の関係も始まり、現代にいたるまでさまざまに表現されてきたといえる。紀元前から各地では、印章や碑文などに絵と文字の組み合わせが多数用いられており、この2つを組み合わせる表現は特殊なことではない。まんが表現の特徴として、絵と文字の組み合わせを挙げる人もいるが、そのこと自体は人類の歴史上ありふれた表現方法であり、まんがだけの特徴ではない。
 ヨーロッパを中心とした「絵画表現」の歴史においては、絵から文字を排除する傾向が強かったため、近代以降に改めて絵に文字を組み合わせることが問題にされたりもしたが、それは絵画史の中の特殊なできごとでしかない。ヨーロッパでもルネッサンス以降に出版された本を見れば、宗教書にしろ動物誌にしろエンブレム集にしろ、絵と文字が密接に結びついた表現が多数確認される。
 ただし、絵と文字の検討は、決して簡単なことではない。
 まず、文字は絵から分化したとはいっても、あいかわらず絵と同様の「イメージ」でもある。ヒエログリフを見てもわかるように、文字はひとつのイメージでありながら、音価を持っている。たとえ絵文字でなくとも、カリグラフィや、筆による「書」を思い浮かべればわかるように、文字は音とイメージの結節点という特別なあり方をする記号である。その両義性の検討は、非常に多くの問題を含んでいる。
 また「文字」というよりも「ことば」という面から考えた場合、まんがの中のせりふやモノローグ、ナレーションなどは、まんがの問題である以前に、少なくとも「演劇的なことば」として先に検討されるべきことだ。その後ではじめて、それがまんがの画面の中でどう組み合わせられ、表現されたかが問題になる。
 このような問題を棚上げした上で、絵と文字の関係を抽象的に考察すれば、歴史的にいくつかの類型に分類することは可能である。たとえば、絵や文字がどちらかを(あるいは相互を)「説明」するもの(パラフレーズ)、絵や文字がどちらかを「補う」もの(追補)、両者の組み合わせによって意味や象徴などを「構成」するもの(生産)、絵と文字が相互に詩的に関わるもの(生成)など、機能面からの検討・分類をすることができる。これは、コマ割りされていないまんが表現には特に有効であり、19世紀までの表現史の検討には役立つはずである。
 一方、主に20世紀以降の物語まんがについて、絵と文字の関係を検討するのは容易なことではない。
 ここでは当面、テプファーやその時代を検討する中で、絵や文字の問題も考えていく。

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2008.04.12

04■絵について

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 まんがの「絵」について考えてみる。
 一般的に「まんが的な絵」と呼ばれるものがあるように思われる。少なくとも、現代の日本でまんがを読む多くの者にとって、それをイメージすることは決して難しいことではない。
 では、その「まんが的な絵」とは、具体的にどのような絵のことをいうのだろうか。多くの場合、「線画」「輪郭的な画法」「省略的な画法」「誇張表現」「ディフォルメ」「カリカチュア」「滑稽的」「写実的でない」などの特徴が指摘される。しかし、それらは非常に漠然としており、人によって見解は一致しない。そもそも、これらの特徴を持たないまんが表現は、いくらでも指摘することができる。
 ならば、絵の形式的な特徴によって「まんが」を語ることは不可能なのだろうか。
 厳密にいえば、おそらくそうである。そもそも、絵というものの原初的な姿は「まんが的」である、とさえ言える。たとえば、古代遺跡の壁画や、器具類の装飾を見るならば、そこには「まんが的な絵」が満ちあふれている。エジプトのヒエログリフは、どこかまんが的である。子供が成長して絵を描き始めると、それは写実的な絵画ではなく、むしろまんが的である。
 絵は、手を動かした軌跡だから、その基本は、そもそも「線画」的である。「輪郭的」「省略的」などの点を考えても、それは描画の問題以前に、人間の視覚自体のあり方に大きく関わっており、まんがだけの特徴ではない。認知心理学の見地からすると、人間の知覚は、対象を省略化・単純化することによって成立しており、「描く」こと以前の「見る」ことが、すでに輪郭的・省略的だ。結果的に描かれた絵が輪郭的・省略的であっても、それをそのまままんが固有の特徴だということはできない。「誇張表現」「ディフォルメ」「カリカチュア」などについても、一般的な絵画、特に近代以降の絵画を見れば、広く用いられている手法であることは明らかである。
 「まんが的な絵」を定義することには、ほとんど意味はない。意味があるのは、「まんが的な絵」という共通認識が時代や場所によってどのように成立していたか、という歴史的な問題である。ある時代、ある場所の人々にとっては、どのような絵柄が「まんが的」と感じられていたのか。それをすくい取る行為として、この問題は考えられるべきである。
 だから、たとえば「鳥獣人物戯画」を見て、その絵をまんが的だと感じるならば、それは、現在の私たちが「まんが的な絵」をどのようにとらえているかという、私たち自身の歴史性の問題であり、そのことを十分わきまえて考察すべきことである。

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03■まんがとは何か

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 一般的にまんがの「起源」を考える場合、いくつかの立場がある。
 第一に、現在あるまんがの形式的な検討を行なって、それに類似したものを過去に探す立場。たとえば、まんがを「絵」「文字」「コマ割り」という要素の総合ととらえて、それにあてはまるものを、時代をさかのぼって探していくやり方だ。もちろん、まんがを具体的にどのような要素や形式にとらえるかは、人によって異なるため、歴史の検証も異なる。(たとえば「絵」だけを重視して、他の要素をあえて無視すれば、類似したものとして「鳥獣人物戯画」などが注目を浴びる) また、そもそも「絵」「文字」「コマ割り」などの個々の要素についても、それぞれ歴史的な検討を加える必要があり、決して容易な話ではない。(そもそも絵とは何か。文字とは何か)
 第二に、メディアや社会性から検討する立場がある。まんがを、表現の形式的な問題ととらえるよりは、新聞や雑誌などのメディアによって広まった点に注目し、社会的な機能(たとえば「風刺」「笑い」)を重視する考え方だ。まんがは印刷技術による複製物として普及してきたのであり、大衆によって広く共有されるという、近代性を無視しては検討しにくい。たとえば風刺という行為が成立するためには、ある種の均一性をもった層としての「大衆」が成立している必要があり、またそれを支えるマス・メディアが必要だ。しかも、そのような場で表現される内容は、描いた人間の意匠や個性に帰せられるよりは、新聞や雑誌などのメディア側の意図や、社会的な要請が強く反映している側面が強いため、作品である以上に、社会風俗としてとらえる必要もある。このような観点からは、「コマ割りまんが」という形式的な問題は、あまり重視されない。
 第三には、「まんが」という言葉の歴史を検討する立場がある。まんがという語はいつ出現し、どのような意味で使われてきたのか。このことは、上記2つの立場と関連しながら、十分考慮されるべき問題である。たとえば、このことへの配慮がないまま単に字面だけに注目すると、「北斎漫画」が必要以上に大きな注目を浴びたりすることになる。また、日本では「劇画」「コミック」などと呼称が多様化していくことも、視野に入れる必要がある。海外では、少なくともヨーロッパやアメリカにおける呼称の変化は、まんがの初期の歴史の検討には欠かせない。

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2008.04.11

02■ロドルフ・テプファーの何が新しかったのか【2】

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 先に述べた2つの特徴は、テプファー以後に登場した19世紀のまんが作品の多くにも受け継がれている。テプファーのスタイルをそのまま真似たり、作品をリメイクしたりした後継者たちはもちろんのことだが、たとえばまだ若者だったロートレック(正確にはトゥールーズ=ロートレック)が1881年に描いたまんがにも、その典型的なスタイルを見ることができる。そこに見られるのは、ラフなタッチで絵を描き、それを区切ってさらに絵を描き、また区切っていった作業の軌跡だ。コマ配置のバランスの悪さが、その「なりゆき次第」の描き方を感じさせてくれる。テプファーの始めたこのスタイルは、たしかに新しい何かを確立し、後世の人間に大きな影響を残している。
 ならば、具体的にテプファーの表現の何が新しかったのか。テプファー以前に、コマ割りまんがは存在しなかったのか。もしテプファーの表現に新しさがあるとしたら、それ以前の表現とどのように違ったのか。そのことが明らかにならなければならない。

 複数のコマの絵を併置した表現や、それらを通じて物語の展開を描く表現は、昔から世界のさまざまな場所で、数多く行なわれてきた。
 「枠によって囲まれたブロック状の絵が複数併置された表現」ということでいうならば、古代ギリシャの美術表現などにすでに見ることができる。そのような形式に、さらに文字が加わった表現は、15世紀以降にヨーロッパで出版された本を見ると数多く確認でき、聖書や物語などの文脈に従って、絵と文字の組み合わせが連続的に表現された、さまざまな作品が存在する。日本でも、江戸時代の浮世絵にはコマ表現を用いた作品が見られる。
 それらを先駆的な「コマ割りまんが」と呼ぶべきだろうか。
 それは判断する人次第だ。そもそも「まんが」とは何なのか。その定義によって、まんがの「起源」はさまざまに変化する。まんがの歴史を考えること、特に初期のまんがの歴史を考えることは、そのまま、「そもそもまんがとは何なのか」と問うことにほかならない。
 テプファーの表現に注目するということも、そのような意味で、「まんがとは何か」を考える行為だ。もちろん、「まんが」の定義を確定しようというのではない。「まんがとは何か」という思考を手がかりにして、歴史を掘り起こすことが、何よりも重要なのだ。
 テププァーの表現を検討していくために、まずは、テプファー以前の表現を検討してみる。

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2008.04.10

01■ロドルフ・テプファーの何が新しかったのか

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 現代的な意味での「コマ割りまんが」という形式を1820年代に生み出した人として知られるロドルフ・テプファー(Rodolphe Töpffer)の作品を見ていると、描き方(というより、線の引き方)にいくつかの特徴があることに気がつく。
 まず、描き方が非常にラフであること。特に初期のものを見ると、絵の正確さやバランスなどの精度をあまり気にせず、下絵なしで、いきなりペンですらすらと線を引いたかのような、かなり荒い描き方だ。リトグラフに似た手法で印刷するために、特殊な加工をした紙を使った可能性もあるから、もしかしたら下書きが不可能な用紙のために、ぶっつけ本番で描くしかなかったのかもしれない。しかし、それにしては、文字や絵の領域を区切っている枠線もフリーハンドで引かれていて、途中で曲がったり歪んだりしている。いくらぶっつけ本番にしても、枠線を定規で引くことくらいはできるはずだが、テプファーはそうしていない。むしろ積極的にラフな線を引いているように見える。1コマ1コマを「リーフ」が連続している雰囲気を出そうとしたのか、枠線のあちらこちらに切り込みがあったり、ちぎれた跡のようなかたどりがなされてもいる。絵のタッチがラフなので、それに合わせるために、あえて枠線もラフに引いたのだろうか。中には、絵や文章の分量に応じて、成り行きで枠がはみ出したり、逆にスペースが空いたりしている箇所もある。緻密な設計図(絵コンテ)や下書きを用意していたら、こういうことにはならないだろう。もちろん、テプファーは一度描いた作品を出版用に描き直したりしているから、その場合はそれなりの設計図があったことになる。にもかかわらず、そのようにして出版されたものを見ても、やはり描き方のかなりの部分が「なりゆきまかせ」になっているように感じられるのだ。その分だけ、筆に勢いは感じられるし、全体的にスピード感があるが、決して緻密な仕上がりを目指した作品のようには見えない。
 このことは、テプファーの手法の新しさを考える上で、おそらく重要なポイントになるだろう。テプファーが何を考えて、何をしようとしていたかが、このような筆法の端々にも現われているように思えるからだ。

 もうひとつの特徴は、多くの作品でコマの枠線が「囲み」になっていないことだ。たとえば、テプファーのコマ割りまんが第1作といわれる「ヴィユ・ボワ氏物語」のオリジナル版(1827年執筆)を見ると、絵と絵の間に線は引かれているが、絵の周囲すべてを線で囲んではいない。他の絵と隣接する境界に線を引いているだけだ。この作品の改作版も含め、後に出版された多くの作品では、絵がすっかり枠線によって囲まれるようになるが、たびたび古いスタイルにも戻り、枠線が閉じられずに、開いたままになるものも見られる。少なくとも、テプファーが最初に「コマ割りまんが」というスタイルで描いた時には、コマは囲まれておらず、後から表現の体裁を整えるうちに、線を閉じるようになっていったのだ。
 これも、やはり重要な問題点を示している。つまり、テプファーはもともと、閉じたフレームの中に絵を描いたのではない、ということだ。むしろ、絵を描き、それを区切ったのだ。区切った後で、それを「囲み」に整えていったにすぎない。コマ割りまんがにおける枠線の意義が、ここで再確認される。コマ割りの原初的行為として、「絵を区切る」ことが検討されなければならない。この観点からすると、「囲む」ことや、その結果生まれる枠は、副次的な問題である。

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