01■ロドルフ・テプファーの何が新しかったのか
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現代的な意味での「コマ割りまんが」という形式を1820年代に生み出した人として知られるロドルフ・テプファー(Rodolphe Töpffer)の作品を見ていると、描き方(というより、線の引き方)にいくつかの特徴があることに気がつく。
まず、描き方が非常にラフであること。特に初期のものを見ると、絵の正確さやバランスなどの精度をあまり気にせず、下絵なしで、いきなりペンですらすらと線を引いたかのような、かなり荒い描き方だ。リトグラフに似た手法で印刷するために、特殊な加工をした紙を使った可能性もあるから、もしかしたら下書きが不可能な用紙のために、ぶっつけ本番で描くしかなかったのかもしれない。しかし、それにしては、文字や絵の領域を区切っている枠線もフリーハンドで引かれていて、途中で曲がったり歪んだりしている。いくらぶっつけ本番にしても、枠線を定規で引くことくらいはできるはずだが、テプファーはそうしていない。むしろ積極的にラフな線を引いているように見える。1コマ1コマを「リーフ」が連続している雰囲気を出そうとしたのか、枠線のあちらこちらに切り込みがあったり、ちぎれた跡のようなかたどりがなされてもいる。絵のタッチがラフなので、それに合わせるために、あえて枠線もラフに引いたのだろうか。中には、絵や文章の分量に応じて、成り行きで枠がはみ出したり、逆にスペースが空いたりしている箇所もある。緻密な設計図(絵コンテ)や下書きを用意していたら、こういうことにはならないだろう。もちろん、テプファーは一度描いた作品を出版用に描き直したりしているから、その場合はそれなりの設計図があったことになる。にもかかわらず、そのようにして出版されたものを見ても、やはり描き方のかなりの部分が「なりゆきまかせ」になっているように感じられるのだ。その分だけ、筆に勢いは感じられるし、全体的にスピード感があるが、決して緻密な仕上がりを目指した作品のようには見えない。
このことは、テプファーの手法の新しさを考える上で、おそらく重要なポイントになるだろう。テプファーが何を考えて、何をしようとしていたかが、このような筆法の端々にも現われているように思えるからだ。
もうひとつの特徴は、多くの作品でコマの枠線が「囲み」になっていないことだ。たとえば、テプファーのコマ割りまんが第1作といわれる「ヴィユ・ボワ氏物語」のオリジナル版(1827年執筆)を見ると、絵と絵の間に線は引かれているが、絵の周囲すべてを線で囲んではいない。他の絵と隣接する境界に線を引いているだけだ。この作品の改作版も含め、後に出版された多くの作品では、絵がすっかり枠線によって囲まれるようになるが、たびたび古いスタイルにも戻り、枠線が閉じられずに、開いたままになるものも見られる。少なくとも、テプファーが最初に「コマ割りまんが」というスタイルで描いた時には、コマは囲まれておらず、後から表現の体裁を整えるうちに、線を閉じるようになっていったのだ。
これも、やはり重要な問題点を示している。つまり、テプファーはもともと、閉じたフレームの中に絵を描いたのではない、ということだ。むしろ、絵を描き、それを区切ったのだ。区切った後で、それを「囲み」に整えていったにすぎない。コマ割りまんがにおける枠線の意義が、ここで再確認される。コマ割りの原初的行為として、「絵を区切る」ことが検討されなければならない。この観点からすると、「囲む」ことや、その結果生まれる枠は、副次的な問題である。
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