16■まんがとアニメにとっての1820年代
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前項で紹介したように、ジョナサン・クレイリーの論ずる「視覚の身体性」というパラダイム・シフトは、ゲーテが「色彩論」で問題にし、1820年代に本格的に始まった目の残像現象の研究によって進行していく。この研究は、歴史的に見るならば、動画の基本原理の発見としても知られる。
円板を回転させて表裏の絵を合成する実験に用いられ、やがて玩具として広く知られていくソーマトロープは1825年に発表されている。1832年にはジョゼフ・プラトーによってフェナキスティコープが発表され、本格的に「絵の動き」が表現される。やはりこれも玩具のフェナキスティスコープとして普及してゆき、この後競うようにして動画技術が開発されていく。
後の映画やアニメーションの基本的な原理は、1820年代に発見され、1830年代に本格的に形を整えて、広く人々に知られていったのだ。つまりこれは、テプファーが1820年代に初めてコマ割りまんがを描き、1830年代に出版されて広く人々に知られていくのと、まったく並行する歴史だということになる。
コマ割りまんがとアニメーションは、そのルーツをともに1820年代に持ち、並行して発達していった、といっていいだろう。
これは、たまたまの一致ではない。両者は、同じ時代の視覚文化の変動を背景に生まれたという点で、兄弟のようなものである。
まんがとアニメは、現在も非常に近いジャンルとして親しまれているが、歴史的に見ても、そもそも極めて近いところから生まれてきたものだといえる。
ちなみに、同じく1820年代に生まれ、1830年代に広く人々に知られていったものとしては、写真がある。ニエプスが写真撮影に成功したのが1820年代で、ダゲールによって写真装置(ダゲレオタイプ)が完成して発売されたのは1839年である。テプファーには、ダゲレオタイプに関する著書もある。
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