17■テプファーと観光
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ロドルフ・テプファーの著作のうち、1冊だけ日本で翻訳出版されたものがある。「アルプス徒歩旅行 テプフェル先生と愉快な仲間たち」だ。まんがではない。テプファーの描いた挿絵は入っているが、内容は紀行文だ。1842年にテプファーが学生19人とアルプスを24日間にわたって歩いた経験が、1冊の本にまとめられている。
これが日本で出版された理由は、もちろん「あのまんが家のテプファーの著作だから」というわけではない。歴史的な紀行文として、その内容が評価されたからだ。
日本では今のところ、テプファーは紀行文作家としては紹介されていても、まんが作家としては、ほとんど知られていない。
この著書の歴史的な意義は、テプファーが必要もなく旅行に出て、紀行文を書いたところにある。テプファーは、単に「観光」に出かけたのだ。それは、当時新しい風習だった。
訳者の加太宏邦はこの本のあとがきで以下のように書いている。
(前略)テプフェルは、平地では、船や馬車を利用するとしても、基本的には徒歩旅行の積極的な意義を強く主張し、実践している。そのため、たとえば、その快感だけでなく、苦痛も含めての足をつかうことの多面的な意義や、徒歩と思索の関係、視界の違いからくる景観の質の違いとか、寒冷、炎暑、風雨、あるいは空腹、汗、渇き、高所恐怖などが具体的な体験に則して、じつに細かく観察されている。さらに、飲物、食事、靴、杖、服装などについても考察がめぐらされている。その意味で、本書は、今日の大方の観光旅行者が忘れてしまった、「肉体」としての旅人をもう一度考えさせてくれる貴重な証言に満ちている。
もう一つ、この旅行で注目すべきことは、古代から人類が行ってきた様々な旅(巡礼、通商、征服などの有目的移動)とは根本的に性格の異なる新しい旅の形態、すなわち観光旅行が行なわれているということである。テプフェルとその生徒たちはまだその概念が未熟であった「観光旅行」を、きわめて自覚的に、そして積極的に実施している。
じつは、イギリスに始まった「観光」という概念はそれほど古いものではない。たとえば、〈観光〉tourisme(この語も英語から発生するが)というフランス語の初出は、辞書などによると、本書の旅の一年前、一八四一年であって、もちろん、一般化するのには、さきに触れた、鉄道の発達と関係して、さらに十年か二十年先のことになる。ついでに言うと、観光の概念を形容詞としてもちいる〈観光的、あるいは観光にかんする〉というtouristiqueという語は、じつに、このテプフェルの創作語だったのだ。ちなみに、有名なガイドブック、ベデカーのDie Schweiz(スイス)が出版されたのは一八四四年である。
本書のなかにしばしば登場するイギリス人観光客の挙動や、インターラーケンの描写は、まさに観光の曙を生々しく伝えている。しかし、一般的には、何を観光の対象とするのか。どうやって旅をするのか(コースの採り方、食事、宿、距離、天候、荷物などの点検)という基本が、まだ旅行者の手に委ねられていた時代でもあったのだ。今日の旅行者のように、すでに制度化された観光という行為をなぞるのではなく、テプフェルの旅には、行く先を決定し、実地に見聞した上で、その行為自体が観光として成立するかどうかという問いかけがあった。(中略)
また、本書で何度か論じられる風景論や風景画論とでも言える章句に見られる視点は、風景というもののいわば「発見」を模索している状況を窺わせる。たとえば、テプフェルは、マッターホルンになぜ人は感心するのかを長々と考察する。現代の観光客が出来合いの名所としてしか見なくなった、いわば隠蔽されてしまった風景を、考え直させてくれる視点を提供してくれているのである。(加太宏邦・訳「アルプス徒歩旅行 テプフェル先生と愉快な仲間たち」図書出版社 より引用)
訳者の加太は、テプファーが「見る」あるいは「知覚する」という文化が変容していく時代のただ中にいて、それを体現していた先兵であったことを、観光という面から指摘している。
宗教や貿易や戦争などの目的のために、手段として旅行するのではなく、ただ旅行を目的として旅行すること。何かを見て、身体で体験するためだけに、旅をすること。それは、きわめて近代的な新しい行為だったのだ。
単に目に見える光景でしかなかったものが、風景として新たな価値を持つこと。つまり、何かを見たり感じたりする人間の側が、そこに新たな価値を見出して、価値を生産すること。ここにも、「生産力を持った新しい観光者」というイメージを見つけることができる。
テプファーのまんが表現について考えようとするとき、それは単にまんがだけの問題にとどまらない。彼にとって「見る」「知覚する」ということが、どのような意味をもっていたのかを、時代性の中で検討する必要がある。
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