18■ホガースの連続画【1】
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テプファーのコマ割り表現について、前に以下のことを述べた。「われわれがテプファーのなかに見出すのは、生産力を持った新しい読者というイメージである。」
テプファーの特徴をこのように考えた上で、改めてそれ以前の時代の作品を検討してみると、その先駆的なものが見えてくる。
一般的に、ヨーロッパのまんがの歴史を紹介した本では、18世紀の先駆者としてウィリアム・ホガースを挙げるものが多い。連続版画によって物語表現を行なったとして知られるホガースは、コマ割り表現は行なわなかったものの、後に物語まんがが生まれる下地を作ったと評価をされることが多い。
実際にホガースの連続版画を見てみると、有名な「遊女一代記」(6枚連続、1732年)にしろ、「放蕩一代記」(8枚連続、1735年、原題「レイクの遍歴」、「放蕩息子一代記」などとも訳されている)にしろ、「当世風結婚」(6枚連続、1745年)にしろ、たしかに物語的であるとも言えるが、むしろそれらは戯曲的であり、演劇的という印象の方が強い。単に物語的ということならば、ホガース以前に多数存在しているし、しかもそれらの多くはコマ割り表現さえ用いている。
実際ホガース自身、自作の特徴を以下のように述べている。
私は自分の主題を劇作家のように扱おうとして来た。私の絵はすなわち私の舞台である。私の男や女は私の役者であり、彼らは一定の演技やしぐさで黙劇をやっているのである。(ジョン・アイアランド「ホガース画伝」より/櫻庭信之「絵画と文学 ホガース論考」(研究社)本文所収)
ホガースの連続版画は、舞台劇を模した表現といった方が的を得ている。6枚組の版画は、すなわち6幕ものの芝居であり、それぞれの幕の象徴的場面が、多数の役者が登場して演じられている。そういう意味では、舞台劇のダイジェスト風の作品である。
ホガースの連続版画の特徴は、演劇的な手法で人物を生々しく描いたことや、徹底的に時事風俗を取り上げて風刺し、それをわかりやすい表現で版画にし、広く出版・販売して、庶民の支持を得たことにある。そういう意味では、大衆文化としての物語表現やジャーナリズムの発達に大きく影響しており、まんがの源流をなした人のひとりであることに間違いはない。だが、連続物語版画を描いたというだけで、それをすぐに、「コマ割り表現」の歴史に関連づけようとするのは、無理がある。繰り返すが、その頃すでに「コマ割りされた多数の絵によって物語を表現する」形式自体は、広く行なわれていたのであり、それに比べるとホガースの形式は、外見的には旧来の絵画や版画の表現を複数並べたにすぎない。
「複数の版画を並べたホガースの物語表現 → 1枚の中にコマを並べたテプファーの物語表現」というような、単純な発達史観で考えてはならない。そのような記述をさまざまな本で見かけるが、それはある種の先入観にもとづく図式化された考え方であり、実際の事情はもっと複雑である。
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