23■テプファー作品の足跡
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テプファーのコマ割りまんが第1作と言われる「ヴィユ・ボワ氏物語」は、1827年に執筆されている。その後テプファーは1829年に「フェストゥス博士」、1830年には「クリプトガム氏物語」を執筆し、周囲の人に閲覧させている。原稿には日付が入っているため、テプファーの執筆年代はおおむねはっきりしている。これらは、いわば「肉筆回覧誌」であって、出版はされていない。1830年には、知人のひとりが、「フェストゥス博士」と「クリプトガム氏物語」を借り出して、ゲーテに読ませたと言われている。
初めて作品が出版されたのは、1833年の「ジャボ氏物語」。約800部が印刷されたと言われている。この作品はすでに1831年に描かれており、やはり肉筆回覧されていたが、出版されるにあたってテプファーは、全部を描き直している。そのため、現在一般的に読むことのできる「ジャボ氏物語」は、この第2バージョンの方である。
第1作の「ヴィユ・ボワ氏物語」の方は、執筆から10年たった1837年になって、ようやく出版されている。同じ年には、先に「クレパン氏」も出版されているため、「ヴィユ・ボワ氏物語」はテプファーの出版第3作目ということになる。この時にもテプファーは作品をすべて描き直しており、単なる清書にはとどまらずに、細かい内容やコマ構成などが変更されている。さすがに10年の月日を隔てての描き直しであるため、作品の印象は一新されている。
ところが、この「ヴィユ・ボワ氏物語」は、2年後に改作版が出版されることになる。この時までに、すでに広く評判を呼んでいたテプファーの作品は、ヨーロッパ各地で引き合いが多く、価格の安い海賊版が登場していたために、それに対抗する目的だったとする説もあるが、正確なところはわからない。この新版は、そっくり描き直されており、コマ構成なども変更されている。作品の扉ページには「second edition」と書かれている。
というわけで、「ヴィユ・ボワ氏物語」は、合計3バージョンあることになる。
1827年版(肉筆回覧バージョン)
1837年版(出版バージョン)
1839年版(改作出版バージョン)「second edition」
現在、一般的に刊行されているのは、1839年版である。1827年版は、少なくとも1962年にフランスで限定出版されている。1837年版は、現在では一般に流通していないため、内容を確認するのは困難である。(この他に、テプファー監修の下で他人が版を起こしたバージョンも1846年に出ている)
海賊版にも数バージョンあるようだが、どれも1837年版に準じて作られているようだ。当初は左右逆版で刊行されていたようだが、後に修正版が出ている。原本をトレースしたらしい忠実な模写によるコピーだが、枠線が定規で引かれた直線になり、文字も「走り書き」ではなく、ていねいな書体で入れられている。
1837年版(またはその海賊版)は、イギリスでさらに別人の手で模写・補筆されて、「The Adventures of Mr. Obadiah Oldbuck(オバディア・オールドバック氏の冒険)」というタイトルに変更されて、1841年に出版されている。この海賊版はアメリカに渡り、1842年にニューヨークの出版社(Wilson and Company)によって、雑誌「Brother Jonathan」の付録として刊行されている。(ハードカバーのイギリス版とは異なって、ひもで中綴じされた薄い冊子に構成し直されており、内容もイギリス版の絵を流用した上で、文字を入れ直したと思われる)
最近では、この本こそが、アメリカで刊行された最初のComic bookであるとする資料が多くなってきているようだ。テプファーの作品は、ヨーロッパに多くの追随者を生んだが、アメリカのコミック史においても、実は早くから重要な影響を与えていることになる。
積み残したことは多いけれども、いずれまたの機会に。
追記:「ヴィユ・ボワ氏物語」の変遷を「図版」にアップしました。
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