まんが史の基礎問題08■ホガース『ことの前後』
ホガースが、絵を複数並べてシリーズとして作品を制作するという手法を始めたのは、1730年前後のことらしい。前述のデイヴィッド・カンズルは『コミック・ストリップの歴史:第1巻』において、ホガースの油彩画『Before and After(ことの前後)』(1730年)に注目している。
後の連作シリーズの先駆けとなったこの2枚組の絵画は、ことの前と後を示すだけで、その間に起きたことを描かずに、受け手に想像させる表現をとっている。物語のテキストや説明文などはない。また、一般的に絵画を見る者が暗黙の内に文脈として共有する聖書や神話、歴史的事件などの周知の物語内容などが、前提されているわけでもない。見る者は、ただ描かれた2枚の内容に因果関係を探ることで、ことの次第を解釈する。
「関係性」による絵の配置が、ここに用いられているように思われる。
この後にホガースは、この手法を「発展」させて、6枚組みの『A Harlot's Progress(娼婦一代記)』(1732年)を描き、連続物語版画という手法を定着させ、次々と作品を生み出していく。その手法の「発展」がいかなるものであったかは、同じ『Before and After』というテーマで描いた別の2枚組みの油絵(1730~31年)と、その版画化(1736年)を見て比較すると、よりわかりやすい。
先の『Before and After』と近い時期に描かれた、もうひとつの『Before and After』は、舞台を室内に移して、やはり男女の「ことの前後」を描いている。室内であるだけに、象徴的な意味を持たせるための小道具や背景が豊富に描かれ、我々がよく知るホガースらしい密度の高い図案となっている。5年ほど後に作られた版画では、さらに密度が上がり、画中画も加わって象徴的な意味を発揮し、他の連続物語版画ときわめて似た表現が用いられている。このようなホガースの版画では、画面のあらゆる場所からさまざまな「意味」が発掘される。
それに比べると、野外を舞台にした第一バージョンの『Before and After』は、画面の中に描かれた象徴的要素が乏しく、後年のホガースの表現に慣れた目で見ると、どこか物足りない。ヴァトー調を意識して描かれたといわれるこの絵では、背景は象徴的な意味が薄く、むしろ描写性を強く感じさせるシンプルな構成の絵のようにも見える。
ホガースはこの第一バージョンの絵を版画化していない。ホガースの選んだ手法の「発展」とは、一枚の絵の中の「情報量」を上げていくことであり、そのプロセスの中で、この第一バージョンの図案は捨ておかれるのだ。
一枚の絵の中の象徴的要素が増えると、それを注視する者の「滞空時間」は長くなり、読み取られる意味も増えていくことになる。その分、一枚ごとの絵の自立性は高まるが、それに反して「連続性」の効果は、相対的に印象が弱まることになるだろう。
『ルルス小約言』について述べたように、「コマ単独の内容は希薄であり、他のコマとの関係性において読者に意味を読み取らせる」ような表現力は、第一バージョンの『Before and After』の方にこそ感じられる。一枚の絵の「情報量」が比較的低い分だけ、連続性の効果が前面に出てきて、見る者に「二枚の関係から生まれる意味」をより強く感じさせるのだ。我々がこの作品に、後の「コマ割りまんが」的なダイナミズムに近いものを感じ取るとしたら、おそらくそのあたりに理由があるのではないだろうか。
もちろん後の連作シリーズも、本来ならば同じような連続性の効果を持っていたのかもしれない。実際それらには、さまざまな「ことの前と後」が表現されている。しかしそれは、一枚ごとの画面が生み出す膨大な「情報量」に押し流されて、飲み込まれかけている。
それは、版画を販売する上での必要性もあってのことだろう。ビジネスの面からすると一枚一枚が面白く見られ、商品価値があることが重要だ。しかしその結果、ホガースは「連続性」という効果の追究よりも、一枚一枚に多くの意味を盛りこんで補強し、塗り込めていくことに力を注いでいく。『Before and After』第一バージョンの方向性が持っていたはずの可能性が、それ以上振り返られることはなかった。
ホガースの作品は、後の時代に大きな影響を与えた。同じイギリスには、ホガースの没後にギルレイ、ローランドソン、クルックシャンクなど、日本でもよく知られる風刺画家が現われ、「コマ割り」形式を用いた一枚刷りの版画も発表しており、現代の我々のイメージするまんがの形に近づいていくようにも見える。しかし、それらは「時間性コマ配置」の域を出ないものがほとんどで、どれも程度の差こそあれ、それなりに細かく描き込まれた絵柄を用いている。中でも緻密に描き込むことの多いギルレイは、当初は「コマ割り」作品を描いたものの、小さいサイズに描き込むことに限界を感じて、「コマ割り」の手法を捨ててしまったという。
彼らと比べた時に、絵柄を大胆にシンプルな線画にして、コマの連続による長編作品を単行本描き下ろしで発表したテプフェールの革新性が、我々の目にも明らかになる。テプフェールはホガースの連作版画を高く評価しており、自ら影響を受けたことも述べているが、そのスタイルには決定的に大きな転換が見られる。
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