まんが史の基礎問題11■テプフェールの線はどこから来たか
前に述べたように、テプフェールの作品の一コマ一コマは、線の密度も内容も非常にシンプルであり、コマによっては単独ではほとんど意味をなさない。ホガースと異なり、ひとつひとつの絵に商品価値を持たせる必要はなく、むしろ描きとばしている。そのことが、絵と絵の関係性を読み取らせることを支えている。
つまり、現代の我々が慣れ親しんでいるようなコマ割り表現が成り立つ時に、重要だったのはコマそのものではなく、むしろ絵の質の方だったということになる。
とするならば、その支えとなっているテプフェールのシンプルな絵柄そのものに注目し、検討しなければならない。エルンスト・ゴンブリッチは、テプフェールの表現について、以下のように述べている。
かかる省略的な様式を使用する美術家は、自分が割愛しているものはつねに観照者の方で補足してくれるものと当てにできる。練達の技術で完璧に仕上げられた絵画では、どんなわずかな欠陥でも混乱のもととなるだろうが、テプファーとその模倣者たちの慣用語では、そのような省略の表現も話術のうちとして読んでもらえるのだ。(エルンスト・ゴンブリッチ『芸術と幻影』瀬戸慶久・訳、岩崎美術社、1979年 、455頁)
観照者の補足とは、つまり、生産力を持った読者ということであり、それはコマとコマの関係だけではなく、そもそもこのような「省略的な」絵柄の特徴でもある。
確かにテプフェールの絵は非常に省略的ではあるが、改めてよく見てみるならば、その描線はむしろ「落書き」といった方がいいくらいに、不安定で頼りない。現在の日本で、もしこの絵柄でまんが家デビューしようとしたら、まず周囲の人に止められるだろう。普通の神経の持ち主なら、この絵でお金を取ろうとは考えない。とても商売になるような線とは思えない。たとえヘタウマというジャンルに挑むにしても、「この絵でよいのだ」という無根拠な覚悟と図太い神経が必要だ。19世紀のジュネーヴで、こんな絵柄で作品を描いて出版するというのは、相当無謀な行為だったのではないかと想像される。
テプフェールは、わざわざこのような下手くそな線を引いたのだ。これは意図的な行為である。父が有名な画家であり、もともと自らも画家を目指していながら眼病でやむなく断念したテプフェールは、「うまい絵」を描けるだけの技術は十分に持っており、その上で、あえてこのような線を引いている。
当時の一般的な出版物に掲載されている絵の水準から考えて、なぜテプフェールがこんな暴挙ともいうべき落書きのような絵を発表したのか。周囲の反応はどうだったのか。よく考えるとこれは重大な問題である。
しかし実際に歴史を見てみると、テプフェールほどの大胆さではないにしろ、ホガース以後にイギリスの「諷刺版画」の絵柄は大きく変化してきており、ひどく歪んだ表現が増えているのも、また事実である。
実はホガースの没後にイギリスの風刺版画界には「カリカチュア革命」ともいうべき事態が生じ、ホガースの絵柄は時代後れのものとなってしまう。テプフェールの絵柄は、さらにその先を行った「アヴァンギャルド」と見ることもできるだろう。
テプフェールの線はどこから来たのか。それを検討しなければならない。
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