テプフェールの作品は線の密度も絵の内容も非常にシンプルであり、コマによっては単独ではほとんど意味をなさない。前後のコマとの関係性や、文章との関係性においてはじめて意味を持つ。一枚一枚に商品価値を持たせる必要があったホガースとは違い、テプフェールにおいては一コマ一コマに商品価値を持たせる必要はなく、むしろ描きとばしているかのようだ。だからこそ、見る者はひとつひとつの絵には執着することがなく、結果的に、コマ同士の関係性が強く意識される。絵そのものが語る以上に、絵と絵の関係が語っている。
歴史的に見て、テプフェール以後にヨーロッパでは「コマ割りまんが」が急増しており、このようなスタイルによってテプフェールが新しい表現の可能性を切り開いたことが、後に大きく影響していることがうかがえる。
そのように考える時に、興味深いことのひとつは、枠線の描き方である。その頼りないタッチの枠線の蛇行ぶりも印象的だが、清書前の肉筆回覧用の原稿を見ると、どれも枠線が囲まれていない。四角く閉じずに、絵と絵の間を一本の線で区切っているだけである。
前述のように、絵を可算化(複数化)するためには、絵を区切る行為が必要である。テプフェールの原稿を見るかぎり、彼はただ絵を区切っていく。枠線を閉じなくても、そのままで「コマ割りまんが」は成立するのだ。これを見ると、一般的にコマの枠線には2つの役割があることが確認できる。ひとつは絵を区切ることであり、もうひとつは構図を決めることである。「コマ割りまんが」が物語るために必要なのは前者の機能である。テプフェールのコマの枠線は、そもそもは構図を構成するために引かれたのではない。区切ることによって、絵を可算化したのだといえる。
絵は、区切られることによりはじめて「1」となり、それは同時に「2」を呼び込む。数えられないうちは、ひとつの絵があるように見えたとしても、まだ「単数」ではない。「単数」になるということは、同時に「複数」をはらむことであり、数えられるようなものになったということだ。テプフェールが絵を描き、その脇に1本の境界線を引いた時、その絵は「単数」へと変貌し、その境界線の向こう側に、未だ描かれざる複数の絵が潜在的に出現したのだと言うこともできる。その未決定の未来へ向かってペンを走らせ、次々と絵を顕在化していった作業の軌跡が、テプフェールの作品なのではないのか。
このような、区切ることで複数を呼び込む線の機能は、言語でいうならば接続詞の「と」(et, and)に相当すると考えられる。テプフェールの描法は、ある絵を描いた後に線(=「と」)を書き込んで、「…と、…と、…と、…」と絵を描き連ねていくやり方と言えるだろう。
このようなテプフェールの描き方は、未決定の未来に向かって次のコマを生み出していく行為であるから、結果的に物語は「行き当たりばったり」の展開となりやすいと考えられる。実際、多くのテプフェール作品の物語はそのような迷走ぶりを発揮しており、先行きが読めない展開となっている。その物語の軌跡は、図のようにジグザグに蛇行するイメージでとらえることができるだろう。
このジグザグ線はロレンス・スターン(1713~1768)の小説『トリストラム・シャンディ』から引用したもので、この作品の物語展開の迷走ぶりを自己言及的に説明する際に用いられている。同じスターンの『センチメンタル・ジャーニー』については、テプフェールの『フェステュス博士』への影響も指摘されている。テプフェールは小説家としても活躍しており、ジュネーヴ・アカデミー(現・ジュネーヴ大学)の文学教授を務めるなど文学に造詣が深い。テプフェールの作風には、ラブレーなどフランス文学の伝統はもちろんだが、英文学やイギリス文化の影響が広く認められる。
なお、『トリストラム・シャンディ』の中でスターンは、ホガースの著書『美の解析』に触れており、ホガースは請われて『トリストラム・シャンディ』第二版のために挿絵を描いている。『美の解析』でホガースが、美を直線ではなくS字型の蛇状曲線として示しているのはよく知られるところである。テプフェールの描線や物語展開に強く見られる「非直線」的傾向には、ホガースやスターンをはじめとする18世紀イギリス文化との関連性も濃いように思われる。
なお、前述のとおり「関係」について述べているジル・ドゥルーズは、ゴダールの映画について語りながら、「と」について以下のように述べている。
ゴダールで重要なのは(中略)接続詞の「と」なのです。「と(ET)」の用法はゴダールの核心にかかわる重要問題です。なぜ重要かというと、私たちの思考全体が、おおむね動詞の《etre》、つまり「ある(EST)」をもとにして成り立っているからです。哲学は、(「空は青色である」といった)属性判断と(「神がある」といった)存在判断をめぐる議論によって、そしてこれが還元可能かどうかという議論のせいで、まったく身動きがとれなくなっている。ところが、この種の議論ではいつも「ある」という動詞が使われるのです。三段論法を見ればわかるとおり、接続詞ですら、動詞の「ある」と釣り合うように使われている。接続詞を解放し、関係一般について考察した人は、イギリスとアメリカの思想家以外にはほとんどいません。ともあれ、関係判断を一個独立した類型に仕立てあげれば、この類型がいたるところに入り込むということがわかってくる。この類型はいたるところに浸透して、あらゆるものを変質させるのです。「と」は特別な接続詞でも、特殊な関係でもなくなり、すべての関係を巻き込むようになる。そして「と」の数が増えれば、それにあわせて関係の数も増えていく。「と」はあらゆる関係を転覆させるだけでなく、「ある」という動詞なども残らず転覆させてしまうのです。「……と……と……と」とたたみかける接続詞「と」の使用は創造的にどもることにつながり、国語を外国語のようにあやつることにもつながる。そしてこれが、「ある」という動詞にもとづく規範的で支配的な国語の使用と対立するのです。
もちろん、「と」は多様性であり、多数性であり、自己同一性の破壊でもあるわけです。(中略)多数性は、辞項の数がいくら増大しようとも、けっして辞項そのもののなかにはないのだし、辞項の集合や総和のなかにもありはしない(中略)。多数性は、要素とも、集合とも性質が違う、この「と」自体のなかにあるのです。(中略)「と」というのは、ふたつのもののうちどちらかひとつを指すのではなく、ふたつのものの「あいだ」にある境界を指しているのです。どんな場合にもかならず境界があり、逃走の線や流れがあるわけですが、ただいかんせん、これがもっとも知覚しにくい部類のものであるため、実際にはなかなか見えてこない。しかし、事物が生起し、生成変化がおこり、革命が素描される場は、この逃走線にあるのです。(「「6×2」をめぐる三つの問い(ゴダール)」宮林寛・訳『記号と事件』河出書房新社、1992/1996年新装版、77頁)
テプフェールの描法は、「と(et, and)」としての区切り線を引いて、その先を生成していくやり方であり、「創造的にどもる」方法であることを感じさせる(いびつなコマの形や、はみ出したり空白があいたりする文字スペースのバランスの悪さは、どもりながら描いていることを思わせる)。一方、18世紀までの多くのコマ割り形式の物語表現は、「ある(est, be)」によってひとつひとつのコマの内容が支えられており、他のコマによって自己同一性が揺るがされることはあまりない。
テプフェールの作品ではどのコマも中心化されない。いったん中心化されたかに見えたコマは、次のコマによって中心であることを奪われ、次々と中心化が先送りされる。それに比べると、テプフェール以前のコマ割り表現は、特定のコマが中心化された体系だったり(たとえば祭壇画や曼陀羅的な表現)、どのコマも自立的な役割を担って、自らを支える中心であったりすると見ることができるだろう。
ちなみに、「と」で結ばれる関係の中で、最も注目されるべき因果関係(原因性)について、ドゥルーズは前出の「ヒューム」で次のようにも書いている。
原因性は、私を、私に与えられた何かから私に決して与えられることのなかった何かの観念へ、さらには、経験には与えられない何かの観念へと移行させる。たとえば、書物のなかの記号から出発して、私はシーザーが生きていたと信ずる。太陽が昇るのを見て、私は明日太陽が昇るだろうと語る。水が100℃で沸騰するのを見たことで、私は水が必ず100℃で沸騰すると語る。ところが、明日、常に、必ずといった語法は、経験には与えられえない何かを表現している。(中略)原因性の関係は、それによって、私が与えられたものを超越してゆく関係、私が与えられたものや与えられうるもの以上のことを語る関係、要するに、それによって、私が推論し私が信ずる関係、私が何ごとかを待ち受けて予期する関係である。(同、22頁)
現代の我々が普段経験しているコマ割り表現の生産性とは、このような「関係」のことであろう。コマ割り表現によって伝わるものは、そこには描かれていない。そこに描かれてあるものを超越していくこと、そこに描かれてあるもの以上のことを推論し信じることが、コマ割り表現を読むことである。
超越である以上、そこに描かれてあるものの中に根拠はない。もし、それでもあえて何かを探すとすれば、テププェールが無造作に引いた一本の線が目に入ってくるほかないだろう。「と」としての線が。