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2009.12.05

「マンガのシステム」

 ティエリ・グルンステン「マンガのシステム」(野田謙介・訳/青土社)Amazon

 以前から翻訳中と聞いていた本が、つい最近刊行された。(翻訳者の野田さんのご好意で送っていただきました。どうもありがとうございます)
 英訳版を手にしながら、結局ちゃんと読めなかった私にとっては大変ありがたい本で、よくぞ日本語版を出してくれたものだと思う。
 この本を読み始めて思うことは、いろいろあるけれども、具体的な内容について云々する以前に、やはり出版されたことの意義を考えてしまう。
 この本の内容を日本の一般的な読者が検討するには、たぶん2つのハードルがある。やはり、そのことをまず具体的に指摘しておきたい。

■1.「マンガの国」と「バンドデシネの国」のギャップ

 まずは、この本が正しくは「バンドデシネのシステム」であることは、注意されなければならない。フランスのバンドデシネ(やアメリカのコミック)について書かれたものであって、現在の日本で「マンガ」という語が表わしている現実と、そのまま重なるわけではない。もちろん共通する問題も多いのだが、この著者が常に「バンドデシネ」について書いているのだということは意識しながら読み進むべきだ。
 しかしそれ以上に問題になるのは、ここで素材として用いられている作品が、普通の日本人なら読んでいないものばかりなので、論議の前提を理解しづらいということだ。日本での海外コミックの翻訳出版はきわめて貧弱であり、クラシックな名作や歴史上の重要作も、ほとんど出版されていない。だから、我々にはそもそも「(この翻訳書でいうところの)マンガ」を論じる環境そのものがないのだ。
 そんなこと知るか、日本人は日本人の描いたまんがを論じていれば、それでいいのだ、という考えもあるかもしれない。しかしその「日本人のまんが」は、もともと海外の影響を大きく受けながら発展してきたものだ。しかもこの本で特に問題にされているようなコマまんが形式は、ヨーロッパやアメリカから日本に輸入された文化だ(そのことはここでも何度か書いてきた)。だから、日本のコマまんが形式を検討しようとするならば、その源流となったヨーロッパやアメリカの作品を読まないと、見えてこない問題点も多い。もし本気でまんが論をやるならば、世界史的な視野から日本のまんがを考えなければならないはずなのだ。
 そのような意味で、この本での論議の土俵は、本来我々が無視してはならない場所だ。この本の出版は、そのような問題を日本人のまんが研究者に突きつけている。

■2.まんがについてのアカデミックな論議

 この本の著者は、「マンガ(バンドデシネ)」をアカデミックな態度で論じようとしている。そのようなアプローチは、日本ではまだ決定的に立ち遅れており、その面でもこの本の論議の土俵は、多くの日本の「まんが論好き」の読者にとって、かなりやっかいなものと思われる。
 まんがという形式を本気で研究しようと思ったら、かなり広範囲の学問分野の参照が必要になる。少なくとも文系だったら美学、美術史、メディア史、記号論、言語学、言語哲学、批評理論、文学史などを中心に総合的な目配りをするべきだし、理系なら心理学、生理学などの論議も参照しておきたい。そんな力をつけるには、10年や20年はアカデミックな場で研鑽を積む必要があるのだけれども、それを実践しているような人は、すでに各分野で研究実績のある教授だったりするから、わざわざまんがに手を出したりはしない。自分の専門分野で論文を書くのに忙しいし、下手にまんがのようなサブカルに手を出したら自分の評価を下げかねない。だから、たとえ書くとしても、趣味性を強く押し出したエッセイばかりで、まんがそのものを研究する人はほとんどいない。(もしかしたら、自分は最近のまんがをきちんと読んでいないからと、遠慮しているのかもしれない。本当はきちんと読んでいる人なんて、どこにもいないのだが)
 最近は、本格的にまんがを研究しようという大学生や院生も増えているようだから、彼らが表舞台に出てくるようになれば、状況は少し変わるかもしれない。しかし、まだしばらく時間がかかりそうだ。(がんばって下さい)
 この本でグルンステンが問題にしていることは、私から見れば、たとえばメルロ=ポンティを参照しながら、記号論(パース)やプラグマティズムの論議を応用していった方が、すっきりと書けそうな気がするし、私自身もそんな関心をもって、まんがのことを考えてきたつもりだ。もちろん、本業がおたくまんがの編集者としては、やれることに限りはある。しかし、たとえ限りがあるにしても、まんが研究にそういうアプローチが必須であるならば、たとえ貧弱な能力しかないとしても、まずは各自がやれる範囲で前進してみるしかない。いつか若い本格的な研究者が登場してくるまでは、せめてそうやって下地作りでもするかしないだろう。そんなつもりで、ちょっとでも地ならしになればと思って「まんがをめぐる問題」というブログも手さぐりで書いてきたつもりだ。
 この本をきちんと批判できる若い人には早く出てきてほしいし(正直、いろいろ言うべきことはあると思う)、そういう状況への刺激として、この本の出版は受けとめられてほしいところだ。

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